| もしかしたらそれは戦争の話 |
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| 最近、父親がいないときなどに、母親が昔の話をします。 私の母は戦争中の生まれですが、終戦時に幼児だったので、戦争の記憶はほとんどありません。昔のことですので、10歳以上年の離れた姉がおり、その姉は学徒動員で工場で仕事したりしていたようですが、本人にはまったく記憶がないそうです。ただ、終戦の年に大きな空襲があり、山の上に住んでいた母は、それを姉に手をひかれて見にいったことをおぼろげに覚えている、と言っておりました。「でもこれはおねえちゃんから聞いた話だから、私が覚えているわけではないのかもしれない」ともいいますが。 その母親との話の中で、この前、不思議な話を聞きました。 母の実家は昔の農家で、隣に本家があり、まぁ普通に家を構え、田を持ち、動物を飼っていました。そこには当然物置小屋があり、そこに時々人が入り込んで寝ていたというのです。 夏支度をするために蔵の中から扇風機など出していたころ、蔵のひさしにあげてある多くの筵の話になったときのこと。 「昔はビニールシートなんかなかったから、農作業はなんでも筵の上でやったのよ。米の乾燥をさせるのも筵の上に広げて乾かして、親は日が暮れるまで田んぼに出ているでしょう。その後にしまうと露がついて米が乾かないから、米をしまうのは子供の仕事だったの。筵に拡げられた米を集めて、崩れないように物置にひきずってゆくのは大変だったな~」 だからあんなに古い筵がたくさんあるのか!! 昔の筵は大変重く、端がほつれたのを何度も何度も直した跡があります。 「冬になると筵を何枚も編んで、農作業に備えたんだよね~あの筵綯う機械どこいったんだろ?」そういえば昔我が家も稲藁で縄を綯う機械がありました。農作業でものを結ぶのに使っていたのです。冬になると祖母が縄をなっておりました。手で編んでもいたような。今はビニールのバンドですけどね。 「冬になると、農作業用の道具を入れた小屋には誰も入らないだろう。そうすると、時々人が入って泊まってたあとがあるんだよ」と、母が話し始めました。 冬の早い夜がやってくれば、昔は外に出るようなことはなく、皆家にこもっています。その合間に小屋に入り込み、(当然鍵などかかっているわけもなく)朝になって家のものが起きだし、子供が顔を洗っていると、小屋から出て道に歩いていく人の姿が見えたとのこと。 母親の実家は道路から家に入る道がまっすぐな一本道の農道で、さえぎるものがなにもないのです。 「そういえば昔はそういう人がいっぱいいたな~。軒先に立っている男の人にご飯を渡しに行ったこともあったなぁ」 そういう人ってどういう人? と聞けば、子供の自分には大人のおじさんに見えたけど、今考えるとそんなに年を取っていたわけじゃない人だったんじゃないのかなぁ、とのこと。壮年の男性が物乞いや浮浪者として、都市から離れて農村で放浪している…ということは、もしかしてこの人たちは、いわゆる戦争行って戻ってきた人たちなんじゃないんでしょうか。 その疑問を親にぶつけたところ、そうだっけ? と不審に思っていたようですが、戦争終了後、日本にすぐに戻ってこれなかった人も多かったはずですし、都市は空襲にあって1000人程の人が亡くなったのですから、戦争後家のあった場所に戻ってはみたけれど家族は皆行方不明(もしくは亡くなったなど)、仕事もないとなれば、金がなければ暮らせない都市から出て、食べ物にありつくことは出来る周辺の農村で暮らしていた、ということも十分考えられること。 「そういえば昔はよくそういう浮浪者みたいな人がたくさんいたから、気をつけろっていわれたな~」 昔、祖母に聞かされ、さんざ脅された話の中にはもしかしたら、都市から来た行き場のない傷痍軍人が田舎に暮らしていて、そこで現地の人とのトラブルがあったのをそういう風に言い隠したものもあったのかもしれない…と思いました。 でも田舎の人はそういう人を排斥したりはしなかったのかなぁ…害がなければ、季節労働者としてそれなりの対処はしていたのかも。 子供の頃に見た風景や聞いたことの意味は、本当にその時にはまったく意味がわからないものなのですなぁ…。
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8月2日(火) | コメント(0) | 生活話 | 管理
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