日々是精進日記
 
なんとなく田舎のそれとなく古い家に暮らしています。
 
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2005年11月9日を表示

里芋の茎はバナナ

当たり前だけど、畑で里芋の茎を切っていて、「あー、里芋ってバナナとかタロイモとかと同じ種類なんだわ~」と思った(笑)。
さすがにここ数日の北風で、ほとんどの茎がしんなりしていたのだけれど、鎌を入れると流石に手ごたえが違う。
なんだか茎を切る感触はたけのこを切る感触に似てるかも。
今年は結構葉っぱが大きく育ってて、本当に傘にしても大丈夫なくらい、広い葉がたくさんあった。今はもう遅いけど、昔はこの茎を切って細かく切り、水にさらしてあくをぬいて、煮て食べたこともあったんだよな。
ばーさんが生きていたときには何度か食べたけど、あれはおいしいものじゃなかった。腹をくちくさせる(おなかいっぱいにする)ものだなぁ、とは思ったけど。
繊維は多くて歯ごたえがあるから、空腹は満たされるけど、食べ物じゃないよなぁ。
うちの親は芋類があまりスキじゃないと思っていたが、それはどうやらさつまいもだけだったらしい。
里芋の煮付けはいっこうに構わないのだそうだ(笑)。
「それってやっぱり好き嫌いじゃないの」と思うんだけどねー。
よく60歳以上の終戦時に記憶のあった方々が、「戦争中は食べ物がなかったから大変だった。私に好き嫌いはないし、今でもあの時の食事はできる」というが、そんなのはまぁ、無理だろーなー。経験と体力がそれを阻むだろうし、その年代の人はなんだか味覚がものすごい単一化してるから、かえって食べられないんじゃないかと思う。
逆にそういう戦争の味をまったく知らない子のほうが、当時の味や当時の食生活が出来るかもしれないなー、とも思ったり。個人差があるだろうけど。
食べ物って『その味の本当の快楽』を追求していなければ、案外忘れるのは簡単なのかもなー、と思ってます。
いくらケーキ食べたくても、それに「ものすごくおいしいケーキ」という付加価値がつけば、「普通のケーキ」は別に食べたいとは思わなくなるわけで。
そうやって考えてゆくと、嗜好品はそんなにいくつもいらないなー、ということにも気がつく。
ご飯を茶碗に一杯、具が三種類以上の味噌汁を御椀にたっぷり。それに葉ものを小皿にたっぷり。
それにかぼちゃの煮つけか鮭の切り身が一つあればいい…って、定食にしても量多いね(笑)。

味噌汁の野菜は、やわらかくなるまで煮るのがすきです。特に大根とかにんじんとか根もの(たまねぎもそうかな)は、柔らかくなるまで煮るとダシが出て味噌汁があまくなるんですよねぇ。
そこに油揚げとか葉ものいれて煮て、味噌薄めにとくとすごいおいしいです。野菜のダシの味って大好きw



11月9日(水) | トラックバック(0) | コメント(0) | 食べ物話 | 管理


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